自己紹介にかえて(エッセイ風に)
免許をとるか、とらないか
この業界で生きようと選んだ頃、
正直に言って、国家資格を取るか迷いました。
法的には免許制度なので、国家資格が必須です.
しかし現実は無免許が非常に多いです。
(民間資格は認められた免許ではないので、
法的には無免許施術と同じ扱いになります)
しかも食えるかどうかは免許と別問題。
無免許で繁盛する所もあれば、逆もある。
国家資格は保障になりません。
悩んだ末に、それでも取る事に決めました。
単に精神衛生上の問題です。
免許が必要と知りつつも、無免許でやっていくのは
性格的に耐えられないだろうと思ったのです。
学校に通ってから、免許は非常に重要だと気づきます。
そのエピソードを紹介しましょう。
手技の世界を志す、ということ
私は夜間部でした。
夜間部の解剖学講師は、やたらと難しいと学生の評判が悪かったのです。
その講師は骨と筋肉以外のすべてを担当していました。
多くの学生はこう考えていました。
"施術には骨と筋肉が必要であって、内臓は必要ない"
思うだけでなく、公言する人もいました。
あるとき、その講師が授業の始めに言いました。
「皆さんは人の体を扱うわけで、しっかり勉強していないと害になります」
その講師は、現場を知った卒業生からの評判はとても良かったのです。
学生のとき彼の講義を一生懸命勉強しておけばよかった、
と言う方も多かったです。
もうひとつ、別の例をあげましょう。
筋肉が動くには酸素や栄養が必要です。
身体へ取り込むのは肺や胃腸ですよね。
筋肉まで運ぶのは血の巡りです。
そして、筋肉を動かすよう指令を伝えるのは神経なのです。
酸素や栄養が不足すると、すぐに疲れてきます。
体内に豊富でも、血流が不足すると不都合がでます。
それらに問題がなくても、神経に問題があれば思うように動きません。
このように筋肉は全体との関係の中で働いています。
全体の関係性を無視して筋肉だけを考えたのでは、
非常に視野が狭く、理解が浅くなります。
人間は全身を使って生きています。
部分は相互に影響しあい、総和として生きています。
より適切にみるためには、より広い視野が必要です。
内臓の勉強もマニアックにやりました。
睡眠とトイレと入浴以外に一息つける時間がありませんでした。
(講義が濃密で、次の授業までに復習が間に合わない)
バイトをしながらの通学でしたが、食費も限界まで削り、
働く時間を減らして勉強にあてました。
おかげで内部の関係性がすこし判るようになっていきました。
しかしながら、あの頃は本当に辛い時期でした。
もう二度とやりたくないのが正直なところです。
病でなく人間を扱う、ということ
卒業後、多くの方をみながら、
人間が元気に生きるには、心の健康も重要と感じました。
いわゆる、メンタルヘルスです。
こころの状況がかなりの程度で健康に影響します。
少し考えれば当たり前ですが、完全に落とし込むには時間が必要でした。
そうして世間を見ていますと、まもなく、
心の状況は生きる環境や状況、その人の信念や人生観と
密接に関係することがわかりました。
こうして、視点がさらに広がりました。
体という物質面と、心という精神面、その関係性。
それらを取り巻く環境・状況との関係性です。
人が元気に生きるには、
どんな文脈の中でどのように生きているかをみる必要がある、ということです。
これも言われてみれば当たり前です